やっぱり最初は「料理ネタ」から。感謝を込めて、5記事くらいはエッセイ風にまとめていきます。
まず一番質問をもらう「なんで料理が上手くなったの?」から語っていきます。
「きっかけ」に入る前に、まずは「参加費」について。
これだけは誇れるのですが、僕と同じように、人の家を訪れ、金銭ももらわず、料理を振る舞い続ける方に出会ったことがありません。笑
たまに、元料理人で出張料理人をやっている方はいらっしゃいますが、仕事なのでちゃんと金銭はもらっていますし、人件費がかかる分、一人当たりの単価は1万円以上かかることも多いと聞きます。
ただ、僕のコース料理は基本酒込み(ほぼ飲み放題)で、一人当たり4,000円前後です。
この金額感だったら、誰でも参加できるでしょ。
また、料理に比重を置かない雰囲気だとしたら、2,000円前後(酒込み)で作ることもあります。
ちょっと蛇足ですが、僕はプライベートの飲み会で「傾斜」をかけるのが心底嫌いです。
もちろん、酒を飲む人・飲まない人で費用を差し引くことはありますが、「立場」から生まれる傾斜はかけたくない。
そのため、後輩や学生でも普通に参加できる金額感にしています。
先輩・後輩という「立場」は「金銭」から生まれる、というのは歴史が証明していますので、圧倒的なプライベート感を感じてもらうためにも「平等性」を担保しています。
きっかけ:友達と安く飲みたかった。
先に結論から申し上げると、宅飲み料理人になったきっかけは「友達と安く飲みたかった」からなんですよ。笑
もっと「料理が楽しくて振る舞いたくなった」とか「高級食材を扱いたくなった」とか言うと思いました? いやいや、ただ単にお金がなかったからです。特に20代前半は。
ちょっと会話を遠回りさせますが、「お金がない」と感じる瞬間って、どのタイミングで訪れると思います?
経験則からお話しすると、「お金がない」は「他者と比較した瞬間」から生まれます。
20代前半の当時、僕は新卒でベンチャー企業に入社したのですが、「周りと比べて」死ぬ気で働いていたのにもかかわらず、全然給与が低かったんですよ。当時勤めていた会社の業績が悪くなったタイミングも相まって、ボーナスもなかったですからね。
僕にとっての「周りと比べて」は、一緒に大学時代を過ごしてきた友人たちです。ちなみに7人のLINEグループがあります。みんな優秀だったこともあり、金融、大手メーカー、公務員など多種多様です。
そこで薄々感じ始めたことがあります。「あれ? 勤める会社・業種によって、遊び方や行く店が異なり始めたな」と。
「今度の忘年会はエアビでお泊まり会にしない?」
この雰囲気を感じ取ったのは僕だけではなく、無意識に居心地が悪くなるかもしれないと察した友達が、ある提案をします。
「今度の忘年会はエアビでお泊まり会にしない?」
当時みんな20代前半でしたが、酒好きな男グループで3軒くらい飲めば、1〜2万円くらい平気で行っちゃいますよね。
だったら安い宿を探し、適当にケータリングでも頼んで、気兼ねなく飲みません? という魂胆です。
みんな一瞬で承諾して、最初はケータリングで飲み会をしていました。
そして2年目、エアビ忘年会(確か明治神宮前でしたかね?)でケータリングが底をつき、深夜テンションで簡単に白菜と豚肉の鍋を作った時のこと。
「もう毎年、サトシの料理でいいじゃん。」
全てはここから始まりました。
ちなみに、この忘年会は8年連続で続いています。もう毎年恒例行事です。
僕自身、忘年会のシーズンが訪れると「今度は何をつくろうかな〜」とワクワクしますし、「やっぱり年末はサトシのご飯食べないとね」と言われると、目から熱いものが込み上げてきます。
妹の誕生日会で料理を作ってくれない?
そして4年目のエアビ忘年会。(確か26歳で新宿三丁目のエアビ会場でした。)
料理の全権を手にした僕は、事前準備もできるようになり、ここからコース料理っぽさが出てきました。
そのときに振る舞った料理はこんな感じ。最初なのでちょっと粗いですね。
この写真をインスタで投稿したところ、ある女友達からLINEで連絡をもらいます。
「今度、妹の誕生日があるんだけど、その料理って作れるかな……? おそらく7〜8人くらいなんだけど……」
なんで姉がわざわざ大人を集めて妹の誕生日を企画したのか。
当時はコロナ真っ只中。妹は当初大学生。せっかく大学に通っているのに、ほぼオンラインで学校に通えず全然友達もできないとのこと。
心優しい姉は、大人のワチャワチャ感に妹を巻き込んで、少しでも大学生らしいことをやってほしかったんでしょうね。
もちろん承諾しまして、当時作った料理はこちら。
この時点で料理人キャラは確立できました。
まさに「コロナでも飲み会をしたい」という時代ニーズと、この料理人キャラが見事に噛み合った瞬間です。
ちなみに、このメンバーは友達が非常に多い方ばかりだったこともあり、「友達に料理うまいやついるんだけど、今度飲み会やらない?」という流れで至る所で料理をすることになり、今の状況につながります。
「おいしい」は平等だ。
以上、宅飲み料理人生活の「きっかけ」を語りました。
最初は今まで遊んでくれた方への感謝も込めて、5記事くらいはエッセイ感覚のブログにしたいと思ってます。
一緒に食事したみなさんは「あーそういえば、こんな会あったねーーー」とか思っていただけると嬉しいです。
最後に宅飲み料理人生活を続けてきて、学んだことがあります。
おいしい料理を目の前にすると、みんな同じ顔をするんですよ。
人間は性別、年齢、年収、仕事内容、趣味の鍛錬レベルが違うと仲良くなれないもの。
ただ”おいしい”の前では、例えどんなに偉い人でも普通の人間に戻る。
それくらい料理は”人間の根源”に通ずるものだと思ってます。
まさに”「おいしい」は平等”です。
今後もこの金額感で料理を作る所存ですので、私と会って久々な方もお気軽にご連絡ください!
ともに、食卓を囲みましょう。